吉本秀之「教養教育の再構築に向けて―大森荘蔵氏の所説に寄せて―」『総合文化研究ブックレット』No.1(2003),pp.2-7.

           教養教育の再構築に向けて
           ―大森荘蔵氏の所説に寄せて―
                                                       吉本秀之

 はじめに
 個人的な話から始めることをお許しいただきたい。戦後日本の哲学界において傑出した地位を占める分析哲学者のひとりとして、故大森荘蔵の名を出すことに異論を唱える方はおそらくほとんどいないであろう。私が東京大学教養学部に入学したときの学部長は、大森荘蔵氏であり、とても学部長とは思えない簡潔にして切れのよい入学式の挨拶に驚いたことは脳裏にしっかりと刻まれている。進学振り分けという東京大学独自のシステムにより、2年生の後半から進学した教養学科科学史科学哲学では、大森荘蔵氏が主任教授をつとめており、個人的にはいろいろな点で世話になった。私がとった授業のなかでもっとも鮮明に記憶に残っているのは、野矢茂樹氏と九鬼一人氏と私の3人のみが出席したヴィトゲンシュタインの『哲学探究』を読む授業である。3回に1度発表を担当してドイツ語を読むというのは当時の私にはかなりの負担であり、そのことが記憶によく残っている理由のひとつであるが、ともかく徹底的に議論するという哲学の方式が私には新鮮であった。  結局、大学院進学時には、哲学ではなく、科学史を選択したものの、その当時入手できる大森荘蔵氏の著作はほぼ読んだように記憶している。
 現時点で正直に語れば、大森荘蔵氏の哲学が私の残してくれたものは、その哲学学説ではなく、問題をいちから考え抜くというスタイルであった。当時、自己責任や自己決定ということばは今のように流布していなかったが、自分で考え抜いた上で自分の唱えた思想・思考に個人で責任をもつという、個人主義を体現した姿勢がいまでも深く心に残っている。オールド・リベラリストの面目躍如といったところであろうか。
 その我が師大森荘蔵氏が、私たちに残してくれたエッセイに、「知識と意見」と題するものがある。放送大学の教材のひとつとして編集・出版された『科学と宗教』(日本放送出版協会、1988)という、広く読まれたとは思われない出版物に収められているので埋没しているように見受けられるが、日本社会における教養概念の見直しのためには、核心的となりうるヴィジョンと意見を提示してくれている。

 意見を鍛えること、という大森荘蔵氏の教養概念の精神に従い、このエッセイでは、第1に大森荘蔵氏の意見を紹介した上で、第2に大森荘蔵氏の見方を現実の大学の教育体制に適用してみたい。この試みは、教養教育に明快で着実な立脚点をうちたてるための非常に有益な視点を与えてくれるであろう。

 現状認識と逆転の発想
 まず、「知識と意見」における大森荘蔵氏の基本的現状認識と観点を紹介しよう。大森荘蔵氏が端的で明確な議論を展開しているので、その部分を少し長くなるが、そのまま引用しよう。

 戦後半世紀、日本の社会は「教養」という概念の意味を創造することができなかった。この文化的空隙に乗じて、教養とは専門のための準備であり、予備であるという間に合わせのその場しのぎの解釈が流通して、大学のカリキュラムの予算の基本となり、時には人事にまで影響を及ぼした。しかし、このいかにも官僚的事務的な解釈はもう廃棄すべきであろう。それに代わって、教養と専門との関係を知識と意見という観点から眺めてみてはどうだろうか。つまり、専門的知識の探究が専門的研究の仕事であるのに対して、意見の形成や鍛錬が教養の意味だと考えるのである。もちろん、意見の形成や鍛錬にはその主題について十分な知識が必要であり、その知識は専門知識のストックから供給され修得される他はない。・・・そうだとすると専門と教養の関係は従来の解釈の場合と逆転する。教養が専門への準備なのではなく、専門知識が教養のための準備なのである。

 歴史的経緯を補足しておこう。学生たちが大綱化以前の時代半ば侮蔑的につかっていた「ぱんきょう」は、正式には「一般教育」であり、第2次世界大戦後GHQが敗戦国日本の教育改革のために導入したものであった。アメリカの大学教育においては活用されていた General Education は、そのまま日本語訳されて「一般教育」として新制大学に導入された。戦後日本社会では、大学が大学と名乗る以上、基本的に設置すべき授業科目として設定された。つまり、大学設置基準のなかに、人文科学、社会科学、自然科学という区分毎に最低必修単位とともに指定されたのである。(もとのものでは、人文、社会、自然の各分野にわたり、それぞれ最低12単位。)
 この「一般教育」の空洞化については、数多くの適切な指摘があり、妥当だと思われる原因分析が存在する。もっとも大きくつかまえれば、アメリカで実施されていた「一般教育」の理念を日本の大学人が理解することなく、人文、社会、自然という下位区分のなかで、法学、政治学、経済学、社会学、文学、歴史学、物理学、化学、生物学等々の既存のディシプリンの、下請的な、それぞればらばらな内容の講義が行われているだけであった。ひとことで言えば、日本全国で一律に実施されたこの「一般教育」の運営体制が、「一般教育」の理念を裏切っており、日本社会における教養概念の空洞化に大きく寄与したのである。
 その意味では、1991年の「大学設置基準の大綱化」は、それぞれの大学がそれぞれの大学の教育・研究の目的や見地に従って、「教養教育」を再定義する絶好の機会であった。もちろん、大綱化を受け、多くの大学で新しい様々な工夫がなされ、はっきりとした進歩もあった。しかし、同時に、ただ教養部を解体し、「一般教育」科目を減少させるという後退も多くの大学で見られたことは、日本社会の悲しい事実である。
 多くの大学では、以前の「一般教育科目」は、「総合科目」に改編されたが、新しい「総合科目」を中身のある教養概念に仕えるものとするには、科目名称の変更だけにとどめず、いくつか配慮すべきポイントが存在する。そのポイントを整理してみよう。
 1)入門的、基礎的科目との概念分化
 2)専門分野との分化と連携
 3)授業方法
 4)実施体制
 1)すでにこの点は多くの大学でなされたことであるが、専門分野への導入科目、入門的科目との概念分化は必須である。そうしなければ、専門教育の下請けという位置づけから教養科目は逃れられないこととなる。(概念分化は、授業科目名、運営形態の分化に反映されなければならない。)
 2)専門分野は、それぞれの学部、大学において別々である。アメリカのコミュニティ・カレッジのようにリベラル・アーツ教育そのものを専門とする大学を除き、専門分野とは異なりつつも、その専門分野の特徴に沿った教養教育が構想されるべきであろう。(専門分野を教養教育に開いていく形と、教養教育が専門分野を補完する形が考えられるであろう。)
 3)早期ゼミの形式や、学生自身の発表と討議からなる授業等、教育目的に応じて、授業方法は多様化されるべきであろう。なお、このことは一概に大人数講義を否定するものではない。知の世界の先端に触れつつ、刺激的でわかりやすい講義というのも存在する。そうした講義においては、できるだけ多くの学生に聴講してもらうことが望ましい。
 4)「総合科目」が1年2年の間に、単位をそろえればよい科目となってはならない。その形態をとると、専門教育の下請けという制度的慣性が働き、以前の「ぱんきょう」と同様の位置づけに埋没してしまうであろう。

 新しい教養概念
 さて、教養教育の内容であるが、故大森荘蔵が的確に記述している。ここでも、少し長めに引用しよう。

 その[教養]の訓練とは第一に、できるだけ多くの意見に接してそれを理解し、批判し、比較する力を養うことであり、第2には、できるだけ多くの主題について自分自身の意見を形成し、それを明確な言葉で述べることである。教養とは物知りになることではなく、優れた意見を持つことなのである。そのような訓練はかつてレトリク(修辞学)と呼ばれて中世西欧の学校では全人的教科とされていたと聞いている。実際現代でも、自然について、歴史について、人間について、科学について、宗教について、税法について、脳死についてと人生全般についてバランスのとれた意見を持つことこそ全人的な教養の意味ではなかろうか。その意見を単に漠然としたフィーリングであるのではなく、自分の胸の底から言葉で述べることができ、討論することができ、あわよくば説得することができる意見でなければならない。つまり、意見とは実は「思想」であり、言語こそその思想の中核なのである。

 古い時代には、「陶冶」という言葉で表現され、最近では全人教育という言葉で示される内容のひとつが、ここに明確に述べられている。もちろん、「陶冶 Bildung」は、19世紀のドイツ大学の改革(フンボルト理念に基づく大学改革)で体現化された考え方であり、とくにゼミナールによる専門教育を通しての、人格形成とまとめることができる。ゼミナールがしっかりと機能するのであれば、人文系の学部や大学においては、なおまだ、専門教育を通しての意見の鍛錬、思想の訓練は可能であると思われる。また、教養を専門とする大学では、この形式はオプションの一つとなることができよう。
 また、一つのテーマに関して、出来るだけ多くの異なる見解を知り、それを批判的に比較照合した上で、自分の見解を作りあげていく作業は、専門論文作成の基礎であり、この点でも専門分野での訓練を通しての教養の鍛錬は、可能であると言える。もちろん、教養の訓練と、ただ一つの専門分野での訓練とに差はあり、それは、現代社会に生きるものとして必要だと思われる多様なテーマについて、意見を鍛える作業を行うべきだという主張である。
 大学を卒業してしまった者であっても、この点は、必要ではないだろうか?
 つまり、ここでの教養は、大学在学中だけ学べばよい知識というよりもむしろ、生涯教育、生涯学習というものの柱となるべき理念と言ってよいのではないかと思われる。
 アリストテレスが喝破したように、社会的存在としての人間にとって、政治は本質的である。国民の教養として、この概念が一般化すれば、機能不全に陥った政治に新鮮な空気を提供することが出来るように思われる。
 さて、「自然について、歴史について、人間について、科学について、宗教について、税法について、脳死についてと人生全般について」と記されるテーマだが、ここは、教養教育の実施者の力量が問われるところであろう。21世紀になった現時点で考えれば、1)環境問題の多様な側面、2)テロリズムと戦争の問題、3)脳死臓器移植と先端生殖補助医療の問題、4)社会の安全とプライバシーの問題、5)グローバリズムの正負、6)自分を守るための法律の知識、7)少子化・高齢化・人口減のもたらす現在と未来、8)死の準備教育、等々をあげることができるであろう。学生たちの自己形成や陶冶という観点に立てば、様々なインターン制度や、ヴォランテイア活動支援、留学支援をこのなかで考えることも可能であろう。

 教育体制への応用
 戦後日本社会の教養教育の体制を図式化して掲げてみよう。

            専門 上位課程
            教養 下請け

 大森荘蔵氏のビジョンに従うと、これは、次のように見直すことができる。

                 専門知識
          日常的なことがらに関する健全な判断力や意見

 大学における教育体制としては、戦後日本を支配していた上下関係を一部逆転させながら、完全に転倒というわけではなく、横転させてみたい。つまり

            専門教育→教養教育

 というふうに見てみたいのである。
 その主旨は、一文でまとめれば、次のようになる。
 専門知識や専門技能を身につけたその先に、いつでも、日常生活を営む上で、あるいは現代社会における市民生活を営む上で、その生活を豊かにするものとしての教養があると見たいのである。
 大綱化以前の日本の大学においては一般的に、そして大綱化以降の日本の大学の相当割合においても、1〜2年生は、入門的、一般教養的な知識のための課程に当てられ、3〜4年生が専門課程となっていた、あるいはなっている。
 しかし、一部の大学においては、(たとえば、当東京外国語大学におけるように)入学時から専門教育を本格的に実施している。そうした体制をとる大学にとっては、「専門の先の教養」というこの体制は、まさにうってつけの教育システムを用意してくると言えよう。
 むろん、大学入学時までに学生が得てくる知識・技能と、大学が用意する多様な専門分野の間には、無視し得ない乖離・距離があり、入門的な科目群、あるいは基礎的な科目群をこのシステムは否定するものではない。しかし、前述のとおり、専門教育への橋渡しをする、専門教育の基礎や入門的科目と、ここに提示した意味における教養科目は、概念的には制度的にも峻別すべきであると考える。
 大綱化以降、日本の多くの大学に設置された「総合科目」とは、基礎科目や入門的科目ではなく、この意味での教養科目にこそ、ふさわしいのである。
 この構想によって、具体的な履修パターンを例示してみよう。
 学ぶべき専門が入学時において決まっている大学においては、入学時の時点から集中的に身につけるべき専門知識と専門技能の修得にあたらせる。必要であれば、入門科目、基礎科目を設置して、導入的・基礎的知識・技能を修得させる。それと同時に、現代社会の様々な問題に対して視野を開くための「総合科目」を自由に選択させる。
 後期の専門課程は、そのぞれの専門分野に応じて立てられるであろうが、後期にあっても取るべき教養科目を用意しておく。それは、3〜4年生向きの「総合科目」を開設するということでも、ある期間大学の外にでるということでもかまわないであろう。あるいはその分野の専門家を外から呼んで、しっかり議論できる場を設けるということも考えられるであろう。
 ポイントをまとめておこう。第1に、教養科目を1〜2年生だけの単位をそろえればすむ科目とはしない。全学年にわたるように組み込みのが理想だが、後期にも何らかの教養教育を実施する体制を担保することが重要である。第2に、視野を学生においても教官においても大学の中に閉じてしまわないように、いつも大学の外との連携・交流を頭のなかにおいておくべきであろう。ある程度の専門知識・技能を身につけたあと、留学やインターンや、あるいは西欧中世の大学生のように放浪の期間を設けることも有用であろう。

 まとめにかえて
 教養を、専門的諸学問分野のように、かたい枠で閉ざされた空間として概念規定することは、教養の趣旨に反するであろう。ここに示したのは、日本社会において教養概念を再構築するには、どういう拠点がありえるかをさぐるひとつの試論である。
 その試論では、大森荘蔵氏の「意見と知識」という観点を採用することにより「専門の先の教養」という新しい視角を提示しえたと考えるが、それをどう活かしていくかは日本の大学人の取り組むべき重要な課題だと言ってよいだろう。

  参考文献
 大学問題についての著作は、非常に数多く出版されている。ここでは、今回の試論を書くうえで念頭にあったごくわずかのものをあげるにとどめよう。
大森荘蔵「知識と意見」『(放送大学教材)科学と宗教』(日本放送出版協会、1988),pp.373-6.
加藤尚武「情報媒体の変化と教育方法論」越智貢・土屋俊・水谷雅彦編『情報倫理学』(ナカニシヤ出版、2000),pp.218-239.
日垣隆『<検証>大学の冒険』岩波書店、1994
竹内洋『教養主義の没落:変わりゆくエリート学生文化』中公新書、2003
アレゼール日本編『大学界改造要項』藤原書店、2003
ハスキンズ『大学の起源』青木靖三・三浦常司訳、社会思想社教養文庫、1977
古川安『科学の社会史』増補版、南窓社、2000
ホームページにもどる