日独交流史編集委員会『日独交流150年の軌跡』 [書評] 吉本秀之「『日独交流150年の軌跡』雄松堂書店、2013」『化学史研究』第42巻(2015): 44-46

 日独交流史編集委員会『日独交流150年の軌跡』雄松堂書店、2013、348頁

 日本とドイツは、2011年、日・プロイセン修好通商条約調印150周年記念式典を祝った。記念式典としてドイツと日本で数多くの行事が開催されたが、そのひとつとして2011年1月24日から26日の3日間ドイツの歴史博物館-ツォイクハウス映画館で「日独交流150年」をタイトルとする国際シンポジウムが開催された。この国際シンポジウムは、1)条約締結までの日独交流、2)条約そのものとその後の影響を主題とし、初日は「1861年の日普修好通商条約締結記念日」、2日目は「出会い―交流―条約:第1次世界大戦までの日本とドイツ」、3日目は「ドイツと日本の相互影響」を掲げて行われた。このシンポジウムをもとに同年ドイツ語の論集がドイツで出版された。  (Curt-Engelhorn-Stiftung fur die Reiss-Engelhorn-Museen and Verband der Deutch-Japanischen Gesellschaften (eds.), Ferne Gefahrten - 150 Jahre deutch-japanische Beziehung, Regensburg: Schell + Steiner, 2011)
 このドイツ語論集『遠い交流:日独関係150年』をもとに(わずかに変更を加え)邦訳出版されたのが 『日独交流150年の軌跡』(雄松堂書店、2013)である。
  『日独交流150年の軌跡』は、全体を、1.日独交流の嚆矢、2.日独交流の黄金時代、3.学術交流・日本研究、4.ヴェルサイユ条約から第二次世界大戦まで、5.戦後の日本とドイツ、6.未来へ、という6部にわけ、それぞれ6名、13名、10名、11名、8名、4名、延べにして52名、重なりを排して45名の執筆者が短いもので3頁、長いもので13頁、平均6頁余りの記事を書いている。
 もともとマンハイム市ライス・エンゲルホルン博物館で約3ヶ月間開催された「日独修好150周年記念展覧会」の図録を兼ねていたこともあり、多くのカラー図版が掲載されていて、なかには日本初公開の資料も含まれる。
 評者自身は、日本近現代の経済史-技術史と日独関係史を専攻しマールブルク大学日本研究センター教授であったエーリッヒ・パウアーの記述する日独科学交流史やヴュルツブルク・シーボルト協会会長のコンスタンティン・フォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリンの描くシーボルト、日本医学史を専攻するフンボルト大学ベルリン東アジア学科教員フランク・ケーザーのまとめる日本におけるドイツ医学の受容、などに惹かれてこの論集を購入したが、科学・技術・医学分野を含む日独交流史の概説書あるいは一種の事典してとても重宝するものであることがわかった。
 日本の近代形成にとって大きな意味を有する日独交流史の多様な側面を知るよすがとしてここでは論集の目次を全部紹介しておこう。
 ペーター・パンツァー「オイレンブルク使節団と日独関係の樹立」
 中村尚明「将軍への贈り物 徳川記念財団所蔵のプロイセン王立磁器製作所(KPM)製リトファニーについて」
 ロルフ=ハラルド・ヴィッピヒ「プロイセンにおける竹内使節団 ドイツの地を踏んだ最初の日本人」
 レギーネ・マティアス「ハンザ諸都市と日本」
 箱石大「戊辰戦争とプロイセン」
 カティヤ・シュミットポット「第一次世界大戦以前の独日貿易」
 スヴェン・サーラ「日独関係の「黄金時代」」
 久米邦貞「ドイツに目を開いた日本 エッセンとベルリンにおける岩倉使節団」
 ニクラス・サルム=ライファーシャイト「青木周蔵 ドイツと日本の橋渡しをした外交官 」
 瀧井一博「明治憲法の制定とドイツの影響 」
 トビアス・エルンスト・エシュケ「ヤコブ・メッケル少佐 お雇い外国人、プロイセン参謀将校」
 マティアス・ヒルシュフェルド「行進曲と神々の煌めき 日本の西洋音楽の草創期におけるドイツの役割」
 エーリッヒ・パウアー「自然科学と技術分野における日独の学問移転:第一次世界大戦まで」
 フランク・ケーザー「ドイツを模範とした日本の医学」
 スザンネ・ゲルマン「エルヴィン・ベルツ 日本近代医学の父」
 ベアーテ・ヴォンデ「森鴎外と独日文化の橋渡し役」
 ペーター・パンツァー「ドイツにおけるジャポニスム 芸術と好奇心の間にある日本への熱狂」
 ゲルハルト・クレープス「日本の俘虜収容所における青島の守護兵たち」
 ハインリヒ・ゼーマン「明治日本はドイツだけを手本としていたのか」
 ヴォルフガング・サイフェルト「ドイツにおける日本学・日本研究」
 デートレフ・ハーバーラント「ヴァレニウス、カロン、ケンペル シーボルト以前にヨーロッパにおける日本理解を深めた人々」
 コンスタンティン・フォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトと日本開国への影響」
 レギーネ・マティアス「ルール大学ボーフムのシーボルト・アーカイブズ」
 宮坂正英「呉秀三のシーボルト研究」
 ハルトムート・ヴァールラーヴェンス「世紀転換期の日本人によるドイツ像 1900年から1902年のベルリンにおける巌谷季雄」
 エーリッヒ・パウアー「日独学術交流の再出発 2人のノーベル賞受賞者アルベルト・アインシュタインとフリッツ・ハーバー」
 スヴェン・サーラ、クリスティアン・W.シュパング、ロルフ=ハラルド・ヴィッピヒ「ドイツ東洋文化研究協会(OAG)」
 トム・グリグル「グラッシ民族学博物館所蔵の徳川家の能面 旧ドイツ東洋文化研究協会コレクション」
 ラインハルト・ツェルナー「ボン大学日本・韓国研究専攻所蔵のトラウツ・コレクション」
 テオ・ゾンマー「両大戦の間 ヴェルサイユ条約から日独同盟、そして総力戦へ」
 宮田奈々「第一次世界大戦後のドイツ国境画定問題と日本委員」
 フランク・ケーザー「ヴィルヘルム・ゾルフ 第一次世界大戦後の初代駐日ドイツ大使 」
 小田博志「ハンス・パーシェと日本 国境を越えたつながりの物語」
 平山洋「ドイツ哲学と近代日本」
 田中祐介「ドイツ語が輝いたとき 大正・昭和戦前期の旧制高等学校におけるドイツの言語と文化の影響」
 田嶋信雄「日本から見た防共協定」
 安松みゆき「1939年の「伯林日本古美術展覧会」について 開催経緯と日独双方の思惑 」
 ジャニーヌ・ハンセン「「武士の娘」(邦題:新しき土) 日独合作映画で交わる芸術とプロパガンダ」
 イングリッド・フリッチュ「リヒャルト・シュトラウス 大管弦楽のための日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲」
 ハインツ・エーバーハルト・マウル「杉原千畝とユダヤ人迫害問題 反ユダヤ人種政策への同調を拒否した日本」
 ハインリヒ・ゼーマン「辿ってきたのは同じ道のりか 第二次世界大戦後のドイツと日本、その復興の歩み」
 石田勇治「過去の克服 ドイツと日本を分ける要因」
 ホルガー・レッテル「コンラート・アデナウアーの訪日 政治と文化の視点から見たある旅の記録」
 ペーター・パンツァー「日本とドイツ民主共和国(1973-1989年)」
 黒川剛「日独関係の歴史と日独協会の歩み」
 ルプレヒト・フォンドラン「雨天の友 独日協会と協会の課題」
 ダヴィッド・ベンダー「ドイツにおける日本の武道の伝播と育成」
 ジャクリーヌ・ベルント「マンガに見る「ドイツ」 パロディ・ツールとしての役割」
 ルプレヒト・フォンドラン「将来の日独アジェンダに取り上げるべきものは何か」
 フリデリーケ・ボッセ「財団法人ベルリン日独センター」
 ハンス=エルク・シュテーレ「日本とドイツ 学術・科学技術協力」
 ユリア・ホルマン「日本とドイツ われわれの経済協力のための課題」
                               (吉本秀之)


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