『化学史研究』第28巻(2001): 194-196
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[紹介]Antonio Clericuzio,
Elements, Principles, and Corpuscles
 吉本秀之

Antonio Clericuzio,
Elements, Principles, and Corpuscles : A Study of Atomism and Chemistry in the Seventeenth Century
(Archives Internationales D'Histoire Des Idees, 171)
Dordrecht: Kluwer, 223Pp, $89.00, 2000, ISBN 0-7923-6782-0

 1990年のAnnals of Sciece 1)の論文で、ボイルの化学を見事に再定義してみせ、その後、ジョンズ・ホプキンズのローレンス・プリンシーペとともにボイル化学に新しい光を投じ、ボイル研究再興の柱の一人となったアントニオ・クレリクチオのはじめての成書が出版された。それは、邦訳すれば『元素、原質、粒子:17世紀における原子論と化学の研究』というタイトルのもとに、ボイル以前の化学と原子論の関係、ボイルの化学的粒子論の在り方、ボイル以降のボイル化学の受容の様子を探るものとなっている。  ボイル以前の化学や医学の文献における「精気(spiritus)」の概念について優れた研究論文2)を発表してきたクレリクチオの著作であるからには、ボイル以前の化学文献における「精気」や「種子」や「ミニマ・ナチュラリア」の概念の探究に重点を置くものだろうと評者は予想して(大いに期待して)読んだが、読み通してみると、この著作の最大のメリットは、これまで実はほとんど研究史の空白領域であったボイル化学の大陸における受容を扱った部分にあることがわかった。
 たとえば、ボイル化学について最も基本的な研究を行ったマリー・ボアズ・ホールは、ボイルがそれまでの不合理な錬金術やパラケルスス主義の桎梏のもとにあった化学を機械論化、即ち合理化し、ラボワジェ化学につながる近代化の出発点をつけたと評価し、この評価が科学史の世界ではかなり一般的に受け入れられていた。しかし、よく知られているとおり、『懐疑的化学者』におけるボイルの元素・原質概念の根本的批判にも関わらず、ほとんどの化学者はボイル以降も、化学原質(特に5原質説)や元素を用い続けた。ボアズの解釈と、この事態の間には、矛盾とまでは言わなくても、明らかにうまく適合しない点がある。すなわち、ボイルの作り出した化学がボアズの解釈するほど合理的なものであったとすれば、どうしてその機械論的化学が化学者たちにほとんど影響を与えなかったのか、という疑問を拭い去ることができないのである。
 実は、ボアズの高い評価にも関わらず、ボイルの直後の化学者や化学に関心を持つ自然哲学者がボイルの化学を具体的にどう受容したかは、ごく一部の例外を除き、研究されていなかった。
 クレリクチオは、この著作で、英国だけではなく、フランス、ドイツ、ネーデルランド、イタリアにおけるボイル化学の受容のありさまを、非常に丁寧に跡づけている。17世紀の化学史を専攻する評者にとってもこれまで名前も聞いたことのない多くの化学者とその著作が取り上げられており、この著作は、はじめてボイル化学の受容のありさまをその時代の西欧世界の時代的文脈のなかに位置づけることに成功している。

 特筆すべき事項を何点か取り上げておこう。
 英国では、王立協会会員にもなったダニエル・コックス一人を見よう。ボイルと化学的事項について手紙を交わし、『フィロソフィカル・トランザクションズ』に何点か化学の論文を発表しているコックスだが、これまで誰もコックスの化学をとりあげてこなかった。そのコックスにはじめて研究の光を当てたのが、この本のクレリクチオであり、いわば彼がコックスを掘り起こしたと言ってよいだろう。クレリクチオによれば、コックスの化学はボイルの化学に非常に近く、空気研究においてフックが果たしたのと同じ役割をコックスがボイル化学において果たしたということである。「コックスは、化学において分子の概念を体系的に利用した最初の一人である。」(p.156)
 大陸における受容の例として、レムリを見ておこう。レムリはもちろん、17世紀後半における化学教科書の執筆者としてもっとも重要な人物である。歴史的に言えば、化学教科書の伝統の出現は、フランス語圏の現象であり、ベガンの『化学入門』(1610)から始まり、『化学教程』または『化学論考』という名前をもつ教科書が特にパリの王立化学植物園の化学教授たちの手で出版され続けた。レムリ以前の化学教科書は、元素・原質を扱う理論的部分はあくまで補助的なもので、薬品の調剤法を示す実用的技術書の部分が中心であった。レムリの革新は、理論的部分を大幅に拡張しそれを本質的部分としたこと、並びにそれまでのフランス語の化学教科書にはほとんど全く見られなかった粒子説を導入したことであった。そして、レムリは、『懐疑的化学者』の元素・原質の批判を真剣に受け止めた上で、化学原質をいわば作業仮説として定義し直し、そういうものとして利用し続けた。「原質とは我々に対するものであり、自然界におけるものではない。」(p.173)すなわち、そのときの化学分析の技術ではもうそれ以上分解することのできないものとして化学原質を用いたのである。
 17世紀後半のドイツでも、ネーデルランドでも、イタリアでもボイルの化学的粒子論を受容した化学者は少なくなかったが、そのほとんどは、英国におけるボイル化学の後継者達と同じく、ボイル化学をヘルモント主義の医化学と一体のものとして受容している。あるいは、言葉を換えれば、ヘルモントの理論を粒子論的に再解釈したかたちで、化学を捉えていた。

 エピローグでクレリクチオは、初期近代の物質理論を見通すための整理にすぎないと断った上で、次のような分類を示している。非常に便利なので、そのまま紹介しておこう。
1. 純粋に生気論的な物質概念:物質は、共感、反感、吸引力、力をもっている。粒子は含まれない。テレジオ、パラケルスス、カンパネッラの見解。
2. 何らかの種類の粒子概念を吸収した生気論:ブルーノ、デスパーニャ、ヘルモント。
3. 物質の組織化の原理として形相の概念を採用した粒子論的見解:センネルトゥス。
4. 活性粒子の概念を含む粒子論的見解。このグループは、運動の起源に関して2つの下位グループに分けられる。
4a. 物質は能動的で、原子は世界の最初から運動を付与されている:ガッサンディ、マーガレット・キャベンディッシュ、チャールトン、ハイモア、ウイリス。
4b. 物質そのものは能動的ではないが、ある種の粒子(すなわち、種子原理)は神により形成力を与えられている:ボイル。
5. 純粋に機械論的な物質観をとる粒子説:物質は活性をもたず、全ての相互作用は、大きさと形という機械論的性質のみをそなえた粒子の衝突によって生じる。デカルト、スピノザ、ホイヘンス、ハーツオーカー。(p.215)
 17世紀においては純粋に機械論的な原子論はむしろ珍しく、多くの者は原子に質的差異を付与する(別表現では金の原子や銀の原子を前提する)質的原子論を採用していた。17世紀の原子論は、主として化学において形成されたと言ってよいであろう。こう、クレリクチオは指摘している。してみると、17世紀を質的原子論から純粋に機械論的な量的原子論への直線的発展とする科学史の伝統的解釈は、単純にすぎて、もはや廃棄されなければならないと言ってよいであろう。質的原子論が、化学や医学におけるいろいろな現象の説明に用いられ続けたのである。
 なお、この書物の章立ては、次の通りである。序;[1章]ミニマからアトムへ;[2章] 17世紀前半のフランスにおける精気、化学原質、原子;[3章]1600年から1660年までの英国における化学と原子論;[4章]ロバート・ボイルの粒子論;[5章]1661年後の英国における化学理論;[6章]17世紀後半における粒子論化学;エピローグ。評者のこの書評では、この本の最大のメリットである5章と6章に焦点をあわせたが、ボイルの粒子論を扱う4章は明晰に論述されており、また1章から3章までのボイル以前を扱う章は、マイヤー、メルセン、エマートン、平井3)という重要な先行研究を大きく越えるものではないが、化学と原子論に論点を絞って的確に記述されており、十分有用なものであると最後に急いで言い添えておこう。

 

1) Antonio Clericuzio,"A redefinition of Boyle's chemistry and corpuscular philosophy",Ann.Sci.,47(1990),561-89.

2)A.Clericuzio,"Spiritus vitalis: studio sulle teoria fisiologicha da Fernel a Boyle", Nouvelles de la Republique des Lettres 1988-2, 33-84; A.Clericuzio, "The Internal Laboratory.The Chemical Reinterpretaion of Medical Spirits in England (1650-1680)", in Piyo Rattansi and Antonio Clericuzio(eds),Alchemy and Chemistry in the 16th and 17th Centuries(Dordrecht: Kluwer,1994),51-83.   

3) A.Maier, Die Vorlaeufer Galileis im 14. Jahrhundert ,Rome, 1949; A.G.van Melsen, From Atomos to Atom, Pittsburg, 1952; N.E.Emerton, The Scientific Reinterpretation of Form, Ithaca and London, 1984; H.Hirai, Le concept de semence dans les theories de la matiere a la Renaissance, (Ph.D. Dissertation, University of Lille, 1999)

                        

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