ロバート・ボイルの読書
                    吉本秀之

    Reading of Robert Boyle
                    Hideyuki YOSHIMOTO 

  ボイルの読書という営みのもつ特徴を探究しよう。
 まず、読書のための身体的条件を確認しておこう。まるまるとした血色のよい元気な子どもであったボイルだが、成人したあとは、多くの病気に苦しめられ「病弱な体質」となった。とくに目の弱さに関してはその数多くの著作のなかで繰り返しこぼしている。そして、著作家としての履歴のかなり早い時期(1650年代)からボイルは写字生(書記)を使い、口述筆記をしている。写字生はただ本を著す場合だけではなく、読書ノートや実験ノートを取る場合にも使われている。
 この写字生の利用にも関わるが、ボイルの読書のための物理的条件としてもう1点基本的に重要なポイントがある。それは、ボイルの父はイギリス史において有名な成り上がり貴族で、非常に裕福であったという点である。ボイル自身も父の遺産により、自由に実験助手や写字生を雇う余裕があった。そうした助手としては、ボイルのために真空ポンプを組立たロバート・フックとドニ・パパンが有名であるが、ヒュー・グレッグ、トマス・スミス、フレデリク・スレア等、実験助手と写字生を兼ねた者もいた。
 また、いわゆる大学には行っていないボイルはラテン語の能力において大学で博士号をとった学者たちと比べて明らかに弱かったが、ヘンリー・オルデンブルグや様々な助手・友人がボイルを助けた。また、当時最先端の重要なキミアの一部はパラケルスス以来ドイツ語で記されたが、ボイルは自分で告白している通りドイツ語が読めなかった。しかし、サミュエル・ハートリッブの義理の息子フレデリック・クロディウスがボイルのためにグラスホッフの『大小農夫』を英訳してあげたりと、ドイツ語のキミアの文献についてボイルに教える者がいた。
 以上、物理的条件(1.病弱で目が弱い;2.貴族で金持ち)の確認の上に、テキストの特徴を見てみよう。ボイルの著作を表面的に読むと、ボイルは非常に数多くの著作を引用しており、ボイルは大いなる読書家であり博識者であるという印象を与える。しかし、私とリエージュの平井浩博士の共同研究が明らかにしたように、ボイルは初期近代に多く出版された便利な観察収集本や学説史集成を利用している。一例を示そう。『懐疑的化学者』の第6部でボイルは鉱物の再生・成長の事例を11名の著作家から引用している。しかし、そのうち9名までは当時にあっても非常な稀書ヨハン・ゲルハルトの『自然学-化学の10の問題』(1643)からの孫引きであった。しかも、孫引きの際にボイルはもとの著作を入手して引用箇所を確認する作業をしていない。
 ボイルの引用する箇所を引用された作品と現実に照合するという作業を行ってみると、ボイルが現実に手元において利用した書物と入手せずに(あるいは少なくとも手元において利用することなく)ただ孫引きした書物を篩い分けることができる。
 紙幅の関係でここではその篩い分けの結果を一般的傾向に限って紹介しよう。1.中世の著作をボイルはほとんど直接読んでいない。2.ルネサンスの著作もゲオルグ・アグリコラやゲスネルの鉱物論集成などを例外としてほとんど直接は読んでいない。3.17世紀に入ってから出版されたコンペンディウム、コモンプレイスブック、様々な種類の集成本を多く利用している。(4.当時にあっても非常に珍しいドイツ語のキミアの書物を利用している。)
 さらに、読書と実験にあたっての助手・写字生の使用は、ボイルの著作の真の著者に関してある留保を迫る。ボイルの最初の真空ポンプを実際に組み立てたのがフックであることはよく知られている。また『空気のバネに関する続編第2部』(1680)の実験を行い、原稿を書いたのがパパンであることも知られている。一般に近代社会において読書と執筆こそ個人の精神の営みの規範例とされたが、ボイルにおいては助手や写字生を含む共同的な営みとして見直す必要がこの観点からは生じるのである。そしてこの観点はボイルの著作の不思議さ・奇妙さを解明する鍵となってくれるであろう。

『日本科学史学会52回年会 研究発表講演要旨集』p.53
2005年6月4日〜5日 北海道開拓記念館/札幌学院大学


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