[千のキミア・プロジェクト再開 iv ]
次は、Acta Eruditorum
やはり、かなりの頻度で、「アクセスできません」を返してきますが、これまでは2度目3度目でアクセスできています。
やはりガリカの示す巻号数をそのまま一部抜き取っておきましょう。
1691
1693 . 1682-1693 (T. 1)
1693
1703
1704 . 1692-1701 (T. 2)
1704
1707
1710
以上のようにけっこう不規則です。
かぞくそろって6時前。久しぶりに晴れています。もう夏至を過ぎたと思いますが、私のもっているカレンダーは数字以外まったくのブランクなので不明。[千のキミア・プロジェクト再開 v ]
Acta Eruditorumの最初のシリーズは、完了。1691年から1741年までに24巻。
あと、補巻が3巻。Ad nova acta eruditorum quae Lipsiae publicantur supplementa
1745 (T. 5)
1754 (T. 7)
1757 (T. 8)
ニューシリーズが30巻。Nova Acta Eruditorum,1732-1772
とりあえず、補巻まではそろえる予定。ここで雑誌そのもののことをまとめておきましょう。
本と新聞の中間形態と定義できる雑誌 Journal or Magazine ですが、17世紀に誕生しています。
最初のものは、ドイツのErbauliche Monaths-Unterredungen (1663-68)。教化のための月々の議論、ぐらいでしょうか。ハンブルグの神学者&詩人ヨハン・リストが発行。
次は学術的刊行物。
フランスの王立科学アカデミーのジュルナル・デ・サヴァンJournal des Scavans (のちに、Journal des Savants )1665-
ロンドンの王立協会『哲学紀要』Philosophical Transactions, 1665-
イタリアでは、Giornale de' letterati 1668-
ドイツでは、Acta Eruditorum, Leipzig, 1682-
フランス語では他に、オランダで出版された有名なベーユの手になる Nouvelles de la République des Lettres 1684-,
次は一般読者対象。
フランスの、Le Mercure Galant,1672- (1714年にMercure de France に改称)
次は書評誌(正確には、本の紹介誌)。
Mercurius librarius, or A Catalogue of Books ,1668-70
Weekly Memorials for the Ingenious ,1682-83
Universal Historical Bibliothèque ,1686
[Acta Eruditorum (ライプチッヒ哲学論叢)]
研究所で授業のあいまに休んでいると、机の上に海外事情研究所が発行した『クァドランテ』という雑誌がありました。パラパラとめくっていると次のレビュー・エッセイが目にとまりました。吉田耕太郎
「17-18世紀ドイツ知識人世界の一側面:Augustinus Hubertus Laeven, The >>Acta Eruditorum<< under the editorship of Otto Mencke(1644-1707) の議論をめぐって」
『Quadrante』Nr.4(2002), pp.359-368.
よいレビュー・エッセイです。日本語の世界ではほとんど取り上げられたことのない、Acta Eruditorum(1682年ライプチッヒで発行された。)という雑誌の思想史・社会史に関して、見通しを与えてくれます。『アクタ』は、『学術論叢』『ライプチヒ学術論叢』『ライプチヒ学報』と訳されることがあります。フランスに『ジュルナル・ド・サバン』、イギリスに『王立協会哲学紀要(フィロゾフィカル・トランザクション)』があれば、ドイツに『アクタ』があった、と言える雑誌です。ライプニッツが活躍したことがもっともよく知られているでしょうか。→
国立情報学研究所のサイトで調べてみました。
サイニーでひっかかったのは、上記の吉田氏の論考の他には、たった1件のみでした。川又祐
「ゼッケンドルフと『アクタ・エルディト-ルム(Acta Eruditorum)』」
『政経研究(日本大学法学会)』 32(2)(1995/10): 367-392.>インターネットで検索をかけて、もう1点見つけました。同じ川又氏による次の論文です。
川又祐
「オットー・メンケと『アクタ・エルディトールム(Acta Eruditorum)』」
『秋田法学』26(1995.12): ?-?.本体のActa Eruditorum (ライプチッヒ哲学論叢)ですが、慶大三;神大文;日大経;福岡大の4館が所蔵しています。4館のうち、慶応のみが1731年まで所蔵しています。残り3館は、1-10、1682-1691、の所蔵です。
1-10、1682-1691 に関しては、ジョンソン・リプリントがリプリント版を出しています。それは、京産大;東大養、の2館が所蔵しています。デジタルファイルは、ガリカでダウンロードできます。入手はガリカが一番簡単でしょう。
なお、吉田氏がレビューした本の詳しい書誌は次。
Hub. Laeven
The "Acta eruditorum" under the editorship of Otto Mencke (1644-1707) : the history of an international learned journal between 1682 and 1707
translated from the Dutch by Lynne Richards
APA-Holland University Press, c1990, xv, 431 pp.
Webcat ではたった1館だけが所蔵しています。すなわち、成蹊大のみ。ついでのことに、『科学革命の百科事典』の項目"Acta eruditorum"から注目に値する事項を引き出しておきます。(pp.12-3)
ドイツ語圏で出版されたラテン語の雑誌。
中心的には、書評誌。1682年から1706年までのサーベイでは、89%が書評にあたられている。
メーンケは、数学と自然哲学に重きを置く。外国の雑誌から、数学と自然哲学に関するものを選択し、翻訳して採録している。
寄稿者のなかでは、ライプニッツ、ヨハン・ベルヌーイ、ヤコプ・ベルヌーイ、ニコラス・ベルヌーイ、ダニエル・ベルヌーイ、ロピタル、ホイヘンス、ヴォルフ等。
とくにライプニッツはほぼ1年に1点の論考を寄せている。