[一般講演]
 

ボイルの鉱物学思想の起源と展開
                    吉本秀之(東京外国語大学)


 ボイル化学の理論と実践に関しては、1958年にマリー・ボアスの研究がでたあと、20世紀の最後の10年間に新しい優れた研究が引き続いた。現在のボイル研究の中心人物マイケル・ハンターによる論文、イタリア人研究者アントニオ・クレリクチオによるボイル化学の再定義、ジョンズ・ホプキンズのローレンス・プリンシーペによるボイルの錬金術実践の掘り起こし、さらにプリンシーペと(ゲーベルに関して画期的な研究を行った)ウイリアム・ニューマンの共同研究によるボイルの化学の師匠のジョージ・スターキーの発掘である。
 しかしながら、最近のこうした優れた研究にも関わらず、ボイル化学の理論・実践に関しては、なおまだ大きな研究史の空白が存在する。その一つが、ボイルの鉱物学思想である。今回の発表は、私とリエージュの平井浩博士との共同研究による、ボイルの鉱物学思想のソースの発見を出発点として、ボイルの鉱物学思想について、その展開の基本的な流れを描き出そうとするものである。
 理解の便を考えて、最初に見取り図を提示しよう。

1)第1期:1649年〜1661年
中心的にはヨハン・ゲルハルトの著作により、鉱物学的思考に出会い、鉱物の「石化汁」と「種子的原理」の概念を受け入れる。ゲルハルトの読書ノートに近いものを『懐疑的化学者』(1661)やその他の著作に密かにすべりこませる。
 2)第2期:1662年〜1672年
石化について本格的に考察し、まとまった論考の執筆を目指すが、草稿にとどまる。ステノ(1671)、シャーリー(1671)、ウェブスター(1671)の出版に急かされる形で『宝石の起源と効能』(1672)を出版する。この時期からゲルハルトは言及されなくなる。
3)第3期:1673年〜1680年代
「鉱物の生成と良化に関する対話」の原稿を執筆。前の時期の草稿に関して見直し作業を行った上で、ボイル自身の立場からする一貫した論考を目指すが、出版にまでは踏み切らず。

 ボイルの著作のうちもっともよく知られる『懐疑的化学者』の元素・原質批判が、ファン・ヘルモントに基本的によることは、今では定説となっていると言えよう。しかし、その第6部に含まれる鉱物学の部分は、まるまる「チュービンゲンの医学教授」ヨハン・ゲルハルトの小著(『自然学-化学的な10の問題』Tubingen, 1643)によっていることはこれまで見過ごされてきた。(『懐疑的化学者』の初版で3頁分。)さらに、この同じ箇所をボイルは、1674年出版の『論文集(空気の隠れた質)』に掲載した「金属の成長について」でほぼ同じように引用している。
 ボイルは、ゲルハルトから得た「種子的原理」と「石化汁」について、一生涯にわたり考察を進めている。その経過と結果は、「鉱物の生成に関する思考と観察」「石化汁の存在について」「地下の蒸気について」そして「鉱物の生成と良化に関する対話」という近年になるまで未出版だった草稿に残されている。
 こうした草稿並びに関連する著作を分析してみると、ボイルが遠くはアリストテレスの『気象学』近くはアグリコラに由来する地下世界における鉱物生成論の系譜にあることがわかる。そして同時に、その分析はボイルのみならず、17世紀後半の鉱物学思想のありように新しい光を投げかけるものとなるであろう。

    文献
Marie Boas Hall, Robert Boyle and Seventeenth Century Chemistry, Cambridge: Cambridge U.Pr.,1958
Hunter, Michael, "Alchemy, magic and moralism in the thought of Robert Boyle", BJHS 23 (1990): 387-410
Antonio Clericuzio,"A redefinition of Boyle's chemistry and corpuscular philosophy",Ann.Sci.,47(1990),561-89.
Lawrence M. Principe, The Aspiring Adept: Robert Boyle and his Alchemical Quest, Princeton: Princeton University Press, 1998.
William R. Newman and Lawrence M. Principe, Alchemy Tried in the Fire: Starkey, Boyle, and the Fate of Helmontian Chymistry,Chicago: University of Chicago Press, 2002

2004年化学史研究発表会
2004年6月19日、東京海洋大学品川キャンパス
『化学史研究』第31巻(2004)第2号、p.139.


最初のページ= HomePageに戻る。